作品名:核 181205
素材:紙、オーガンジー、レース、写真、クロッキー
制作動機:私は夢をよく見る。
それは持病のナルコレプシーという病気が深く関係している。
ナルコレプシーは深い眠りであるノンレム睡眠にうまく移行できず、浅い眠りの中で見るレム睡眠が多くなる。
そのため私は、人よりも多く夢を見る。
日常の中で突然強い眠気に襲われたり、浅い眠りを繰り返す生活は決して楽ではないが、その一方で、私は他人とは異なる夢の世界を体験しているとも感じている。
夢は私にとって、現実の延長でもあり、もうひとつの現実でもある。
かつて夢の中で起きた出来事があまりにもリアルで、目を覚ましたあと現実との境界がわからなくなったことがある。
また、悪夢の最中で見た印象的な言葉やモチーフを、夜中に覚醒した瞬間、無意識のうちにスマートフォンで検索していることもある。
朝になるとその記憶は曖昧で、検索履歴だけが残り、まるで自分の中に知らない誰かが存在しているような奇妙な感覚に包まれる。
夢の中の私は、現実の私と同じようでいて、まるで別の人格のように思えるのだ。
しかし、夢というものは突き詰めれば私自身の記憶や感情の断片が繋ぎ合わされて生まれた、ひとつのコラージュのような映像記録である。
夢の中に現れる人物も風景も、どこかで見た光景や感じた感情の残響であり、そこには確かに「私」という主体が存在している。
だからこそ、夢の中で起こることは私にとって他人事ではなく、もう一つの自己表現の形なのだと思う。
夢の記憶は目覚めとともに急速に薄れ、まるでもやがかかったように見えづらくなっていく。
その曖昧さは、現実では再現できないほど繊細で、不安定な美しさを持っている。
私はその感覚を作品として定着させたいと考えた。
夢の断片を現実に引き寄せ、素材として組み合わせ、ひとつのコラージュ作品として再構成する。
そうすることで、夢という曖昧な世界に形を与え、私の内側で分裂している「もう一人の自分」と向き合うことができるような気がする。
この作品は、私の無意識と意識の狭間にある記憶の断片を可視化する試みである。
夢を通してしか出会えない自分、現実では語ることのできない感情や思考を、私はコラージュという手法を通じてすくい上げようとしている。
夢を見るという行為は、私にとって病の症状であると同時に、創造の源でもある。
恐怖や混乱を伴う夢であっても、それを拒絶せず、受け入れ、再構築することで、私は自分という存在を新たに見つめ直すことができる。
夢の中に現れる「もう一人の私」は、私の欠片であり、記憶の継ぎ目であり、創作の始まりでもある。
私はこれからも夢の世界と現実の境界を往復しながら、そこに生まれる曖昧な輪郭を手がかりに、自分自身を再発見し続けていきたい。