作品名:アミアブラドレス
素材:網脂(豚)、レース、オーガンジー、クリノリン
制作動機:この作品は、他人の目を過剰に気にして流行を追うことが当たり前になっている風潮への疑問、そしてそれに対する私なりのストライキの意味を込めました。
その考えが強くなったきっかけは、高校2年生で女子高に転入したことでした。
そこでは、周囲に過剰に合わせる文化が強く、「皆がしていないなら、自分もしない」という無言のルールがありました。
たとえ社会的に正しいことでも、皆と違えば浮いてしまう。
私はそうとは知らずに自分の価値観で行動していたため、初めは反感を買うこともありました。
最近になって、当時のことを友人に尋ねたところ、「あなたのしていたことは悪くないけど、一人だけやるのはちょっと恥ずかしい」と言われました。その返答に、私はさらに疑問を抱くようになったのです。
たとえば、私は「ハンディファン」が流行っていても、自分自身が価値を感じられなければ使いたいとは思いません。
軽くて電源いらず、環境にもやさしい「扇子」の方が合理的だと思います。
しかし、いくら扇子をすすめても、みんなが使っていないという理由で敬遠されます。
「ダサい」と感じるのは私の方なのでしょうか。
このような違和感を、私は今回の作品に込めました。
作品に用いたのは「豚の脾臓の下にある網脂(あみあぶら)」という内臓です。見た目はレースのように繊細で美しくも見えますが、実際には多くの人が嫌悪感を抱く部位です。
私はこの「美しいが忌避される素材」を使うことで、社会や同年代の女子の中にある“見かけや流行に左右される価値観”を問いかけています。
さらに、網脂を使おうと思った理由には、自然界がもつ原初的な美と、人間の手によって工業的に生み出された美の対比を表現したかったという思いもあります。網脂の透けるような膜や血管の模様には、生命の機能そのものが宿っています。
それは「自然が生み出した必然としての美」であり、装飾を目的としないにもかかわらず、無意識の構造美を内包しています。一方で、トーションレースのような人工的な素材は、人が“美しくあろう”と意図して設計した秩序の美です。
その人工的な完璧さと、自然物がもつ不完全ゆえの調和。その二つを並置することで、私は「どちらの美がより真実なのか」を観る者に問いたいと考えました。
本来、どんな流行も、どんなプロダクトも、誰かクリエイターの思想やこだわりから生まれたはずです。
にもかかわらず、それが「みんなが持っているから」「流行っているから」という理由だけで選ばれ、逆にそれ以外を選ぶことが「恥ずかしい」とされるのは、創り手の想いを無視するようで、とてももったいなく感じます。
私は将来、クリエイターとして生きていきたいと考えています。
その立場から見て、こうした“価値観の均一化”には強い危機感を覚えます。
自分で考え、選び、身につけ、表現する。そうして初めて「かわいい」や「美しい」は意味を持つと私は信じています。
この作品は、その信念を表現する私からのメッセージです。